冬 飫肥杉・照葉樹林

2022年02月04日

造林学の教科書で、人工林の密度管理の項に必ず登場する、飫肥(おび)林業。

全国屈指の林業県、宮崎の南東部。県内でも主要な林業地である旧飫肥藩領(日南市とその周辺;広渡川流域 )で育成されているのが飫肥杉です。年平均気温は18度、冬でも月平均気温は10度近く、年降水量は2,600mmに達する温暖・多雨な土地です。

冬の暖かさは、北海道から訪れるのにピッタリ。というわけで、真冬のさなか、飫肥杉と、その近くの照葉樹林を訪ねてみました。

まず訪れたのは、日南市北郷(きたごう)町にある「三ツ岩林木遺伝資源保存林」 。飫肥杉を代表する高齢人工林です。

朝7時。遅い夜明けとともに到着。さいわい雨がやんでいました。 

飫肥杉の歴史は400年前の江戸時代初期にさかのぼります。この地域では豊富な天然林資源を古くから 利用してきましたが、山林の荒廃が進んできたこの時代、財政難もある中で、藩の方針でスギの植林がはじめられたのだそうです。

その特徴はふたつ。弁甲材生産と挿し木造林です。

弁甲材とは、木造船に使用する木材(丸太の上下を平らに削って運搬しやすい形にしたもの) のことを指します。この地域の林業は、育林から伐採、加工、流通までの一連の流れが、造船に特化して発展したことが特徴です。江戸後期「日向弁甲」と呼ばれた材は瀬戸内の造船所に運ばれ、菱垣廻船(上方と江戸)や北廻船(日本海開運)に使われました。

造船材にもとめられる特性は、大径で完満であること。そのために 飫肥では植栽密度を低くし、単木の成長を重視する間伐が行われました(表は、造林学—三訂版 朝倉書店 1986より)。 幹を太らせるため伐期が長いことも特徴です。 一つの施業例としては、まず、ヘクタール当たり1,200~2,000本の疎植として、なるべく林冠の閉鎖を遅くする。間伐は20年生、30年生ころにそれぞれ本数比50%程度、伐期60年ほどで本数300~500本を得るといったものです。

この林は、1877(明治11)年植栽の147年生。平均直径は80cmを超えて、100cmを超える気も少なくありません。見事です。

看板(3年前)によれば、ヘクタール当たりの本数は228本、蓄積は驚きの 1,654立米! 樹高は38mに達するそうです。

ここは飫肥藩の猟場だったところで、身の丈を超えるススキを踏みつけて(!)スギの穂を山床に挿して育てたと伝わっています。補植も含めた当初の密度は1,500本ほど。7~8年生までの下刈りとその後2~3年ごとのつる切りなどを20年生まで続け、初回間伐は35年生時。手厚く保育したことが、このすばらしい林相につながっています。

疎植のため、下層植生が豊富。常緑広葉樹が多数混交しています。一見、人工林と判別できないかもしれません。

かつては疎植地で木場作(樹冠下で 農作物を栽培)が行われたこともあるそうです。

飫肥杉の材質は、まず、年輪幅が広いことにより軽い(比重が小さい)ことが挙げられます。加えて、樹脂を多く含むため吸水性が低く(浮きやすい)、しかも強度が高い(衝撃で割れにくい)ことが相まって、造船材として適していたとのこと。なるほど。 

そして、これに関わるのが、もう一つの特徴であるさし木造林。親木から採取されたさし穂を使うことにより、親木と同じ性質の木を生産します。その種類は実に18品種。このことだけで林業がいかに盛んであったかがわかります。

現在も、県内で植えられるスギのほとんどは、飫肥で発祥した品種なのだそうです。

いくつか品種の看板がありました。

「アカ」は心材が赤色で枝が少ない、「トサグロ」は黒色で樹冠内の枝付きが疎など、それぞれの特徴があります。慣れたら見分けられるでしょうか?

枝に関わる特性は確かに重要で、飫肥林業において、疎植による育成ができたのはこのような品種の見極めがあったから、と考えると納得できます。

早朝にすばらしい散策ができました。

近くには若い造林地。造船用木材の需要が減少した現在は、おもに柱や板などの建築用材に使われるそうです。


猪八重渓谷

北郷町の別の山間いへ。難読 ですが「いのはえ」と読むそうです。

滝をめぐる歩道が整備されています。ここから北東の岩壺山(737m)にむけた一帯は「猪八重照葉樹林生物群集保護林」。標高につれた暖温帯から温帯に移り変わる森林域をカバーしていますが、一般に訪れることができるのは「風景林」のあるエリア。標高200mほど、照葉樹林帯の真ん中です。

飫肥杉のチップが敷き詰められた歩道入口。「森林セラピー基地」にも登録されています。今日は誰もいませんでした。

しっとりと森の中。原生的な森が広がっていて見事です。

以下、優占するカシ・シイ類。アラカシ。

シラカシ、ウラジロガシ。

イチイガシ、ハナガガシ。これらは九州に多くハナガガシははじめてみました。

アカガシ。

ツブラジイ。

マテバシイ、シリブカガシ。

続いてクスノキ科。イヌガシ、ヤブニッケイ。

クスノキ、ホソバタブ。クスノキはこのあたりでは自然分布しています。江戸初期の飫肥杉の植栽以前は、主要な木材として天然林から多くが伐りだされていたとのこと。

バリバリノキ。

川沿いの歩道なので、遠望できる箇所は多くありません。小雨ですが心地よい気温。

スギ。ところどころにありました。天然分布でしょうか?

イヌガヤ。スギ以外の針葉樹でみかけたのはこれだけ。

他の樹種も常緑広葉樹を中心に、とても多様。 ヤマビワ、ヤマグルマ。

バクチノキ。サクラ属。

リンボク。同上。

ハドノキ。イラクサ科。

ヒゼンマユミ。

コバンモチ。ホルトノキ科。

ミヤマシキミ。ミカン科。

シキミ。マツブサ科

コショウノキ。ジンチョウゲ科。

サカキ。

ヒサカキ。

マンリョウ、トキワガキ。

サザンカ、ヤブツバキ。

ハイノキ属がたくさん。ハイノキ、クロバイ。

クロキ。

ミミズバイ、カンザブロウノキ。

そして南を感じるアカネ科の木本。タニワタリノキ、ルリミノキ。はじめてみました。

カギカズラ。これもアカネ科。

フウトウカズラ、ムベ。

シタキソウ。キョウチクトウ科。

アセビ。

オオバイボタ、ネズミモチ。モクセイ科。

ソヨゴ、モチノキ。モチノキ科。

サンゴジュ。ガマズミ属。

カクレミノ、ヤツデ。

歩道は猪八重川に沿って進んでいきます。川沿いには、かつて木材搬出用のトロッコ道があったり、小規模な水力発電施設がつくられたりしていたのだそうです。が、森はそのような人為を感じさせません。

ハルニレ。落葉樹では優占種で大径木がありました。こんな南にたくさんあるのだなと思いましたが、ほぼ分布南限のようです。

落葉樹でもう一つ目立ったのはイロハモミジ。こちらもおそらく南限。

ムクロジ、イヌシデ。結構大きい個体がありました。

ヤマグワ、イヌビワ。

イイギリ、ゴンズイ。

ヤマハゼ、ハゼノキ。このあたり、樹名板があったので判別できました。

カラスザンショウ、ハマセンダン。

コガクウツギ、マルバウツギ。

ムラサキシキブ、ハナイカダ。

ツクシヤブウツギ。

林床のフユイチゴ。

歩道は3kmにわたっており、時間の都合もあって、残念ですが途中の橋で引き返しました。

歩道の別名は「コケロード」。とくにコケ類が豊富(250種以上)なことで知られています。

2時間ほどの短い滞在でしたが、満喫しました。

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移動中、山あいにクリの林。どの家でも栽培したのでしょうか。ずいぶん多くみかけました。

スギ林とともに、どこにでもある景色。 ススキ、タケ。  

路傍にはすでに春の雰囲気も。


鵜戸神宮

もう一カ所。日向灘に面した岬に鎮座し、古くから信仰を集めてきた鵜戸(うど) 神宮。 

本殿は海食洞の内に祀られています。お参りするのに階段を下っていく立地を「下り宮」と呼ぶのだそう。目の前に打ち寄せる波の強さ!

崖の上は森になっています。あとから知ったのですが、このあたりは木性シダであるヘゴの自生北限なのだそう。

参拝路に沿って海岸性の樹木をみることができました。 ソテツ。このあたりでは自生種。

タブノキ、ハマビワ。

シャリンバイ。

アコウ、ウバメガシ。

サカキ、ハマヒサカキ。

トベラ、ヤツデ。

クチナシ。

ネムノキ、イヌビワ。

フウトウカズラ、サルトリイバラ。

自生していないもの。タイワンレンギョウ、ハイビスカス。

早咲きのサクラにも出会いました。


油津・飫肥

巡っている日南市の中心部。お城がある飫肥と、港のある油津に分かれています。

油津。江戸初期(1686年)に開削された堀川運河。上流の木材を直接港に運び入れるためにつくられ、周囲には貯木場や廻船問屋が並んでいたのだそう。この基盤整備が、飫肥林業の地位を高める契機となりました。

明治期にかけられた石橋。

こちらは市街につくられた新しい歩道橋。樹齢120年の飫肥杉を使い「木組み」工法(釘など金物を使わない)でつくられたとのこと。


最後は飫肥、おもむきぶかい城下町をゆっくり散策しました。 

飫肥城跡の大手門。

クスノキ、センダン。

本丸跡は飫肥杉の林になっていました。お城は明治維新まで使われて、その後建物は取り壊されたそうです。スギの樹齢は150年余ということになるでしょうか。樹高30mに達しています。

飫肥林業の歴史では、持続性を担保する藩政が行われたことも特筆されます。住民と藩との伐採利益の配分法「二部一山の法」(後に住民の取り分を増やす「三部一山の法」;植林を奨励するための施策 )は、後の分収造林のお手本になったのだそうです。

お城の跡にスギを植え・育てたことに、林業地としての飫肥の矜持があらわれているように感じました。

よい旅ができたことに感謝。